高齢者施設でアートセラピーを提供する場では、
認知症が進んでいる方も多く、アートセラピーへの意思はどれだけか分からないけれど、
職員さんに連れて来て頂き、その場にいる方もいらっしゃいます。

かたやセッションに、わざわざ私のピアノを聴く為にご自身の意思で貴重な時間とお金をかけてくださる方がいらっしゃる。

「こんなのやりたくないわ!」
と迷惑がられる事もある。
直前の記憶が無い事も重々承知だし、ご本人は何も悪くないし、悪気も何も微塵も無いのは十分理解しているが、それでもアートセラピストの私が今ここに在る意味があるのかを考えてしまい、自己肯定感が下がる。

「あなたの音楽が好き。聴きにきて良かった」
こう言われると、私が今ここでピアニストとして在る事を全肯定されたような気持ちになり、自己肯定感も分かりやすく高揚する。

わたしは、宇宙の歴史上どこを見ても唯一無二の存在でありたいと思うので(エニアグラム4)
・これを自分がやる必要があるのだろうか?
・他の誰かがやっても同じ結果なんだろうか?
・わたしじゃないとだめなのか?
と思うことは日常茶飯事。

思考の迷子になったら、必ず戻るのは「自分はどうしたいか」

原点は
自分の持ってる力を通して沢山の人と繋がりたい。

それに、
大変な時代を生きた人達の歴史を少しでも見てみたいし。人生経験って興味がある。

それに、
私の経験を音楽を通して共有したい。これは我ながらにドラマティック。でも自己顕示欲かも。。。

それに、
寒いし流行じゃないけどミニスカートが着たい。

それに、
眠いし疲れてるけど姪っ子と会いたい。地上に降りた天使だと思っちゃう。

あれも欲しいこれも欲しい・・・。
簡単に108以上の煩悩が浮かぶ・・・。
いろいろな欲も行き過ぎると病的になっちゃうので、そんな時はアートセラピーしましょう。